OUR VIEWS

子どもたちのSNS利用を制限する法律について

更新日:2024.12.11
弁護士
北村幸裕
1 はじめに
 オーストラリアでは、2024年(令和6年)11月29日(現地時間)までに、16歳未満の子どもがSNSを利用することを禁止する法案が可決された。
 このような一定年齢に至らない子どもたちのSNSの利用を一律に制限する法律は珍しく、当該法案の可決を契機として、今後世界中で、SNSの利用規制についての議論が広がっていく可能性がある。そこで、今回紹介することとした。
2 法案の内容
法案成立の背景
 本法案が可決された背景には、近年、オーストラリアでは、子どもたちがSNSにのめり込み、日常生活への悪影響や心身の健康を損なうことへの懸念が高まっているほか、悪質ないじめや性被害に遭う事態が相次ぎ、子どもたちの保護者を中心に規制を求める声が高まっていたことが挙げられる。
規制内容
 法案での規制は、SNSを提供しているプラットフォームに義務づけをするもので、これらのプラットフォームは、今後12カ月以内に、16歳未満の子どもがアカウントを持つことを防ぐ手段を提供しなければならないとされている。そして、これに違反したプラットフォームには、最高4950万オーストラリアドル(約50億円)の罰金が科せられることになる。なお、当該法案では、プラットフォームへの罰則はあるものの、子どもや保護者への罰則はない。
 法案の対象となるプラットフォームはまだ確定していないが、少なくともTikTok、Facebook、Snapchat、Reddit、Instagram、X(旧Twitter)などが含まれるようである。なお、16歳未満の子どもたちは、メッセージング(非同期のチャットのこと)やオンラインゲームには引き続きアクセスできるし、YouTubeは健康や教育関連のサービスにあたるため制限の対象にしないとされている。
3 各国の状況
今回のオーストラリアの法案と同様に、年齢で区切って一律で制限するものとしては、アメリカ・フロリダ州に2024年3月に成立した州法がある。当該州法では、14歳未満の子どものSNSの利用を一律に禁止する内容であった。
 一方、一律禁止ではなく、保護者の同意がない場合に利用を制限するものもある。例えば、フランスでは2023年、15歳未満の子どもが親の同意なしにSNSにアクセスすることを禁止する法律を導入した。また、アメリカでは、ユタ州、アーカンソー州、オハイオ州などでも同様の州法が制定されている。
 なお、余談ながら、英BBSによると、フランスでは、上記規制後も、対象者のほぼ半数がVPN(インターネットに接続する際に仮想の専用回線を利用する技術)経由で禁止を回避できているという調査結果があったということである。当該調査結果が事実であれば、このような規制自体がどこまで子どもの保護のために有効か疑問はある。
4 法的問題点
子どもに認められる権利
 そもそも、日本国憲法では、表現の自由が認められているし(同法21条)、自己決定権として、いかなるサービスをどのように利用するかは自分で自由に決定する権利が認められている(同法13条)。この権利は、大人だけでなく子どもにも保障されている。
 また、子どもの権利条約では、子どもには意見表明権(同条約12条1項)や表現の自由(同条約13条1項)の保護が定められており、その意見や表現を自由に発することが認められている。
 これらの権利の行使として、SNSというツールは有益な面があることは否定できないと思われる。
制限の目的
 上記法案等は、SNSのマイナス面を考慮して、子どもたちのSNS利用を制限することで、子どもたちが心身を損なわず健やかに成長すること、子どもたちがいじめや犯罪等に巻き込まれずに被害者や加害者にならないようにすることなどを目的にしている。
制限の問題
 現在の我々を取り巻く環境は、自由主義的な価値観に占められている。この価値観からすれば、基本的に自由の行使に伴うマイナス面は、行使した者が負うべきであり、周囲が自由の行使について口出しすべきではない。ところが、このような自由放任が大きなマイナスを生じさせる場合には、対象者の自由を一定程度制限して、その権利を保護することが認められると考えられており、このような権利の制限をパターナリスティックな制限と呼ぶ。例えば、未成年の飲酒、喫煙の禁止、運転免許証の年齢制限等が挙げられる。
 今回のように、子どもたちのSNS利用を制限することは、まさにパターナリスティックな制限の一態様であり、子どもの権利を保護するために、子どもではない大人が子どもの権利を一方的に制限して良いのかという問題をはらんでいるのである。
5 まとめ
 オーストラリアの法案可決を受けて、今後日本においても、子どものSNSの利用制限の議論が始まる可能性がある。
 ここでは、単に子どもを守るから規制するといった単純な発想で決めるのではなく、子どもを守るために、大人が子どもの重要な権利を制限することがそもそも妥当なのか、仮に妥当であるとしてその制限の程度や方法が適切かという観点で、慎重に議論すべきものであることは留意が必要である。